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左からダイアモンド☆ユカイさんと、神戸蘭子さん
左からダイアモンド☆ユカイさんと、神戸蘭子さん

まさかの「精子ゼロ」から、二人三脚の不妊治療へ
お互いの体や心、向き合うことから

「不妊症・不育症は特別なことではない」という認識は、少しずつ広がりを見せています。2019年に体外受精で生まれた子どもは過去最多の60,598人(※)となり、同年の総出生数から見ると、生まれた子どもの14.3人に1人が体外受精で出産に至ったことになります。
不妊症について当事者たちはどう捉え、乗り越えてきたのか。男性不妊治療や顕微授精を経験し現在は3児の父であるダイアモンド☆ユカイさんと、卵巣疾患を乗り越えタイミング法や人工授精を経験し2児の母となったモデルの神戸蘭子さんが、当時の葛藤やパートナーとの関係、コミュニケーションの取り方について語りました。
※日本産科婦人科学会雑誌第73巻第9号「令和 2 年度倫理委員会 登録・調査小委員会報告(2019 年分の体外受精・胚移植等の臨床実施成績および2021 年 7 月における登録施設名)」より


「精子ゼロ」宣告で茫然自失。長い治療の日々が始まった

神戸: ユカイさんは、長女の新菜(ニーナ)ちゃん、双子の頼音(ライオン)くん、匠音(ショーン)くんと5人家族なんですよね。おうちの中が相当賑やかそうです。


ユカイ: そうそう。みんな一丁前に生意気になってるからね。「パパの音楽はつまんないねっ」なんて言って、親父のことを全然リスペクトしていない(笑)。

左からダイアモンド☆ユカイさんと、神戸蘭子さん
左からダイアモンド☆ユカイさんと、神戸蘭子さん

神戸:ユカイさんは「子どもがほしい」というお気持ちを元々持っていらしたんですか。


ユカイ:俺は1回結婚に失敗しているんだよね。結婚には向いていないのかなと思いながらも、もしまた結婚するならファミリーを持ちたい。持たないんだったら自由にパートナーと過ごす人生を送りたいと思っていた。たまたま同じような考えを持つ妻に出会って「じゃあ、結婚しよう。そして一緒にファミリーを作ろう」って思ったんだ。


神戸:不妊治療に取り組まれるきっかけは何でしたか。


ユカイ:出会ったときには妻が30代半ばで、「自分の状態をチェックしたい」と言うから、近くの婦人科クリニックに付き添いで行ったんだよ。「一緒に行ってあげてもいいよ」みたいな感じでさ(笑)。


神戸:初回のクリニックに夫婦一緒に行く時点で素敵ですね。


神戸蘭子さん
神戸蘭子さん

ユカイ:いやいや、俺は当時、女性の体のことや妊娠、ましてや不妊についてまったく無知で、男はいくつになっても子どもを作れるんだぜ、と思ってすらいたんだよね。
検査をしたら妻の卵子の状態はとてもよくて、何の問題もなかった。「よかったね」と帰ろうとしたら、お医者さんが「旦那さんも検査していきませんか」と言ってきたわけ。「なんで俺がやらなくちゃいけないの、俺ロックンローラーだぜ」なんて思いつつも、せっかく来たんだしやろうかなと気軽な気持ちで受けてみた。 そうしたら、検査結果を出されて「精子がゼロです」と告げられたんだ。


神戸:それは…どんな風に受け止められたんですか。


ユカイ: あまりにも予想していなかった結果で、先生がそのあと何を話したか、まったく記憶に残っていないんだよね。ショックのあまり声も出せなくなった。妻と無言で帰宅して、その後1日中、一切会話できなかったね。 いろんな思いが頭をぐるぐる回っていてさ、今まで自分は男っぽさを前に出したロックンローラーでやってきたのに、「無精子なんて、男として大事な機能がないのか?」とか。
これからファミリーを持とうと結婚した妻に申し訳なくて、翌日、「俺じゃないほうがいいんじゃないか」と離婚も提案したんだ。


神戸:奥さんはそれに対して何と?


ユカイ:「ユカイさんが子どもみたいな人だから、ユカイさんを子どもだと思って生きていきましょう」って言われちゃった。いい言葉だと思ったし、妻も1日考えに考えて、この思いにたどり着いたんだと思う。でも、当時は慰めにもならなくて、無力感がすごかったな。


ダイアモンド☆ユカイさん
ダイアモンド☆ユカイさん

神戸:そこから、どう子どもを授かるための治療を進めていかれたんですか。


ユカイ:無精子症について調べると、閉塞性無精子症と非閉塞性無精子症の2種類があることがわかった。精子は精巣で作られて精管を通って外に出るんだけど、その精管が詰まっているのが閉塞性。鼠径ヘルニアの手術をした人はなる率が高いという調査結果もあって、俺は過去2回手術したことがあったから、これかもしれないと。そこで、精巣を切って精子を取り出す「男性不妊手術」(精巣内精子回収法 TESE)を受けることにしたんだ。


神戸:そこで精子が見つかったんですね。でも、お話を聞くだけでも、手術を受けるのに勇気がいりそうですね。


ユカイ:そうなんだよ。切る、という恐怖はすごかった。
でも、精子がいるかどうかは切らなければわからない。年齢的に時間もなかったし、やらなければ前に進まない。でもいざ受けてみたら、すぐ終わり痛みもなかった。男性の手術は、まだ全然ラクなもんだとあとから実感したね。
結果として精子が見つかってすぐに顕微授精に進んだんだけど、本当の大変さはここからだったよ。


うまくいかない苦しみ、夫婦間の温度差も

ユカイ:神戸さんも、不妊治療を経ての2児の妊娠、出産だったんですよね。


神戸:一人目はタイミング法を試してもなかなかうまくいかず、次は人工授精にステップアップしよう…というときに自然妊娠がわかりました。年齢が30代後半になって二人目は早く産みたいと思っていたのですが、ここでも「多嚢胞性卵巣症候群」と診断されてしまいました。そのため、最初から人工授精で挑戦したところ、3回目で授かることができました。


ユカイ:そういうのをちゃんと計画的に考えているのって、やっぱり強いよね。


神戸:タイムリミットがあるし、人生プランもありますから。


神戸蘭子さん
神戸蘭子さん

ユカイ:不妊治療はいつぐらいから?


神戸:32歳で結婚したときには、「結婚したら子どもが欲しい」と当たり前に思っていました。でも、1年くらい経ってもできなくて、検査に行ったところ「多嚢胞性卵巣症候群」だと診断されたんです。
これは、一つの卵巣の中にたくさんの卵胞ができて発育しにくくなってしまうもので、定期的な排卵が起こらない病気です。不妊の原因にもなると知って、そこから、タイミング法を始めました。


ユカイ:何か自覚症状があって病院に行ったんですか。


神戸:もともと生理不順で、20歳のときに1カ月ほどの間、出血が止まらなくて、母に連れられ診察を受けたことがあったんです。生理はあるけど排卵していない「無排卵月経」で、思い返せば当時から「私は妊娠しにくいのかも」という認識は持っていました。
でも、10年も経てば基礎体温も測らなくなり、そんなに気をつけなくなってしまって。周りの友人や婦人科の先生の勧めからピルを飲み始めたら、毎月1回決まった時期にきちんと生理が来るようになった。生理痛やPMS(月経前症候群)の症状も穏やかになって、こんな症状が楽になる薬があったなんてと感動で。これで私の体はピルをやめれば子どもを作る万全の状態になるんだ!なんて思い込んでいました。


ユカイ:自分の体のことって、自分だけは大丈夫、ってなぜか思っているんですよね。


神戸:多嚢胞性卵巣症候群について調べると、20代~30代の女性には珍しくない病気で、芸能人で出産された方も症状を公表している方がいらっしゃった。だから、運がよければ授かれるんだと思って、タイミング法と薬(卵子の発育を促す排卵誘発剤)での治療から始めました。
でも、最初は前向きな気持ちなんですが、やはり妊娠しているか、していないかがわかる“運命のとき”が毎月訪れるわけです。そのときに生理があると本当に落ち込んでしまって。夫に話すと「また次があるよ」と一緒に落ち込んではくれるのですが、私のひどい落ち込みようとは違う軽めのトーンだったので、その温度差にさらに落ち込んでいました。


ユカイ:実際に本格的な不妊治療を受けるとなると体への負担は女性の方が断然大変で、体験していない側が同じレベルで理解するのは難しいとすごく思う。授かるまでに、着床しなかったときのショックもある。普通は生まれてから1歳とか数えていくけれど、0歳から何カ月という期間を女性は共に過ごしてきているわけだからね。


ダイアモンド☆ユカイさん
ダイアモンド☆ユカイさん

神戸:まさに自分の中で卵を育てて、いま卵が3個いますよと言われたときの写真からもらって取っているのですが、そのどれかが今の子なんです。


ユカイ:わかったようなことも言えないし、それが逆に傷つけることもある。だからこそ、難しいという前提の上で、お互いの気持ちを言葉にし合うのがすごく大事だよね。


神戸:いま考えると、“私が”妊娠しにくいせいだから、という気持ちが強くて、夫に検査してとは言えず、人工授精への協力も頼みづらかった。いろいろお願いするのがすごく心苦しかったんです。 あのときにどうしたら感情を共有できただろう、どうしたらもう少し楽だっただろうと今でも思うので、ユカイさんと奥さんとのやりとりや、最初の診察から同行されたというようなユカイさんの行動には「夫婦で一緒にする」という学びがあるなって思います。


ユカイ:俺も、「自分のせいで妻に大変な思いをさせている」という気持ちがずっとあった。だから、すべての治療や診察についていくのが、自分にできることだと思っていたかな。


人生の目的が不妊治療になっていく——。一度はやめようと話し合った

神戸:顕微授精を始めてから、妊娠が分かるまでどんなプロセスがあったんですか。


ユカイ:3回目の顕微授精で授かったんだけど、2回目の後に一度は治療をやめたんだ。 妻はホルモン注射も打っていたんだけど肉体的にも精神的にもかなりダメージを受けていて、経済的な負担ものしかかる三重苦だったからね。
結果が出るまでは、「(子どもが)できているかな」と二人で明るいことを想像しているんだけど、先生の「着床しませんでした」という一言に、悲しみの底に突き落とされる。あのときの、自分たちにはどうしても冷たく聞こえてしまう言葉の響きは忘れられない。

そうするとね、だんだんと、人生の目的が不妊治療になっていくんだよ。お互いに余裕がなくて、些細なことで口論になって離婚するだのしないだの大喧嘩につながってしまう。2年くらいの治療期間が10年くらいにも感じるほどつらくて、「もうやめよう」って切り出したんだ。


神戸:ホルモンの影響で、自分ではコントロールできない感情の揺れもあったんでしょうね。


ユカイ:「せっかく一緒になったんだから、夫婦二人で楽しく生きていく道を選ぼうよ」って話し合ってみた。子どもを授からなかったご夫婦でも二人で楽しく生きている人たちはいっぱいいるし、だから俺たちはそっちの道を選んだ。映画を見たり、温泉や旅行に行ったりしていたよ。

でも、しばらくしたら妻が30代のうちに最後に一度だけ挑戦させてほしいと言ってきた。お互いに不妊治療を経験してどんな負担があるかよく知ったうえで最後と言っているんだから、相当な覚悟だったと思う。それで、俺ももう一度手術を受けようと決めた。せっかくなら男性不妊のスペシャリストのところに行こうと北九州市にある病院で挑戦することにしたんだ。


神戸:やれることはすべてやろうと考えたんですね。


ユカイ:結果がダメでも、旅行だと思ってゆとりを持てたのがよかったのかもしれない。
後日、病院が指定する東京のクリニックで妊娠がわかったときには本当に驚いちゃった。「俺がパパになれるんだ!」とじわじわと喜びが湧き上がってきたね。
大変な思いをして授かったから、無事に生まれてくるまで心配で心配で、そのあとは、絶えず病院についていったよ。エコーで動いているのを見てはいちいち声を上げるもんだから、先生も「あなた、しょっちゅう来てますね」と言っていたよ(笑)。


神戸:素敵。夫婦で常に一緒に進んで、すべてを共有しているところもすごくいいですよね。


ユカイ:振り返っても大変なことばっかりだったから、理想とはかけ離れているんだけどね。
新菜が生まれたときは、ジャニス・ジョプリン(アメリカの女性ロック・シンガー)のような、地を這うような太い泣き声を上げたんだ。「ああ、俺の子どもが生まれたんだ」って心からほっとしたなぁ。


ダイアモンド☆ユカイさん
ダイアモンド☆ユカイさん

自分の体を若いころからちゃんと知ることが大事

ユカイ:その後、もう一度顕微授精をして生まれたのが双子の息子なんだから、人生何があるかわからないよね。
子育ての大変さは新菜のときと比べものにならないけど、子どもを見ると可愛くて仕方ないね。不妊治療で辛いこと悲しいことを乗り越えてお互いに戦ってきた。苦しんだりもしたけど、妻には本当に感謝しているよ。


神戸:ユカイさんのように、最初の検査から立ち合いまで、ずっと行動をともにできる夫婦はまだまだ少ないと思うんです。
ご自身が経験したからこそ、アドバイスできることってありますか


ユカイ:パートナーとの関係もファミリーに対する考え方も、本当に人それぞれ。十人十色、答えは一緒じゃないんだよね。

でも、一つ伝えたいのは、自分の体については若いうちから知っておいた方がいいということ。例えば、仕事が落ち着いてくる30歳くらいからパートナーと出会って、ファミリーを持っていく女性もいると考えると、あっという間に時が過ぎてしまう。それは男性も同じ。いまだに不妊治療は女性がするものだと思っている方がいるかもしれないけれど、無精子症は男性の100人に1人がなると言われているし、不妊の原因の約半数は男性にあるともいうからね。

よく講演会とかで話すことがあるんだけど、いまだに旦那さんが病院についてきてくれないとか、検査も受けてくれないとかの話も聞いたりするよ。男性の精子だって年齢とともに弱っていくし、精子自体の問題もある。本当に女性だけの話じゃないんだよね。

もし俺があのときクリニックについていかなかったら、たぶんそのままずっと子どもも授かっていないだろうし違う人生になっていたと思う。年齢的にぎりぎりだったし、検査結果があったから次の行動に移せたんだ。子どもを作るのも作らないのもそれぞれの考え。でも、自分の状態を早く知っていれば、次の段階にも進めるよね。男女関係なく、パートナーと一緒に早く知って、行動を起こしてほしいと思うな。


神戸:本当におっしゃる通り。女性も若いときは具体的なトラブルがない限り、婦人科に行くのはハードルが高いと思うんです。私は若いときに診察を受けて心の準備もちょっと出来ていたので、いざ30歳を過ぎて結婚して妊娠しにくいとなったときにも、すべてを一から始めるのとは違っていたのかなと思います。女性は自分の体っていま正常なのかなとか、ちょっと何か違うなと思ったら、婦人科に行くのが大切かと思います。定期的にチェックしに行くのも普通になるといいですね。男性にもそういった知識があることって、大事だと思います。


神戸蘭子さん
神戸蘭子さん

問題のない夫婦はいない。解決は二人の力で

神戸:あとは、私自身の反省からも、みんながパートナーと意見をぶつけあってでも不妊のことを話す機会を持って動けるようになったらいいなって思うんです。ユカイさんはどう考えますか。


ユカイ:俺ら夫婦は、苦しいことをいっぱい乗り越えなくちゃいけなかったからぶつかることも多かったけど、そもそも、何も問題がない夫婦っていないと思うんだよね。

俺は、パートナーは自分が成長するための鏡だと思ってるから、「このやろう」と思うことはしょっちゅうあるけど、その都度話し合いをして、自分に出来ることをするようにしてるんだ。決裂することもあるけど、最終的に決めるのはお互いだからね。不妊治療も含めて子育てって問題は絶えず尽きないものだし、それをどうお互いで解決していって、今を乗り越えて喜びも苦しみも分かち合う、ということなんじゃないかな。


PROFILE

ダイアモンド☆ユカイさん

1962年生まれ、東京都出身。1986年、伝説のロックバンド「RED WARRIORS」のボーカルとしてメジャーデビュー。3年後、人気絶頂期のさなかに解散、ソロ活動を始める。現在は音楽活動を中心に舞台や映画、バラエティー番組など幅広く活動。私生活では47歳で初めてパパに。2011年には、自身の不妊治療の記録と夫婦の関係をつづった『タネナシ。』を刊行し話題になった。同年には双子の男の子も誕生。


神戸蘭子(かんべ・らんこ)さんのプロフィール

1982年生まれ、宮崎県出身。ファッション誌「JJ」にスカウトされ03年、読者モデルとして活動を始め、06年に同誌にモデルとしてデビュー。Sサイズモデルとして活躍、バラエティー番組などにも多数出演した。14年に一般男性と結婚し、16年に長男、19年に男児を出産。現在はハンドメイド作家として洋服などのリメイクや、子供服、小物ケースなどの製作も行っている。


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