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左から千田真司さん、瀬奈じゅんさん
左から千田真司さん、瀬奈じゅんさん

特別養子縁組の家族も、たくさんある家族の形のうちの一つ
自然に受け入れられる社会にしたい

1年半にわたる不妊治療で7回もの体外受精を経験した、瀬奈じゅんさん千田真司さん夫妻。思い実らず妊娠には至りませんでしたが、2017年に特別養子縁組で生後5日の男の子を迎え、3人家族になりました。
「なぜ子どもがほしいのか」。夫婦で何度も対話を重ね、それぞれが自分の気持ちと向き合いながらたどってきた、不妊治療を経て親になるまでの長い道のりについて聞きました。


夫婦で我が子の成長を見守る幸せ

「息子は最近、字が読めるようになってきたのが楽しいみたいで、家族3人でカルタで遊ぶときも『僕が読む!』と張り切っています。でもよく見ると、読み上げる前にこっそり札の位置を確認してるんですよね(笑)。勝ちたくてちょっとズルをするなんて、成長したなぁと感心しています」

満面の笑みを浮かべて話すのは、俳優の瀬奈じゅんさん。2017年初夏に特別養子縁組制度を利用して迎えた男の子も、もう4歳。夫の千田真司さんも、「やんちゃで大変だけど、すごくおもしろい子なんですよ」と、幸せそうに笑います。

左から千田真司さん、瀬奈じゅんさん
左から千田真司さん、瀬奈じゅんさん

雪がたくさん降った日に、車で出かけたママのためにパパと二人で雪かきをしたこと。初めてキックスケーターに挑戦した日に、一人で乗るのは怖いからと、「離さないでね!」とギュッとママの手を握っていたこと。何気ない日々のすべてがいとおしく、家族として共に過ごせる喜びをかみ締めています。けれども、ここに至るまでの道のりは、決して平坦なものではありませんでした。

二人の出会いは、瀬奈さんが宝塚歌劇団を退団してから初めて開いたソロコンサート。バックダンサーを務めていたのが、のちに夫となる千田さんでした。「大阪公演が終わって東京に戻る前に伊勢神宮にお参りしようと、スタッフと別れて一人だけ名古屋駅で降りたんです。そしたらホームに夫がいて、『あれ?』って」。実は、千田さんの地元は名古屋。実家に立ち寄るために途中下車していました。

そんな偶然から距離が縮まり、ほどなくして交際することに。交際当初からお互いに結婚を意識していたそうで、2012年、瀬奈さん38歳、千田さん28歳のときに結婚しました。「結婚したら子どもができて、家族みんなで年を重ねていく。二人ともそんなイメージを持っていました」(瀬奈さん)

瀬奈じゅんさん
瀬奈じゅんさん

とはいえ、結婚したからすぐに妊活、とはいかない事情がありました。舞台やコンサートの予定は2年先、3年先まで決まっています。「妊娠はしたいけれど、途中降板で周りに迷惑をかけるのは……」と考えた瀬奈さんは、夫とも話し合い、結婚から2年後の40歳から妊活を始めることにしました。

妊活を始める前に二人で受けた不妊検査では、夫婦ともに特に不妊の原因となりそうな問題はなかったものの、医師からは「私の年齢や片側の卵巣腫瘍を手術した経験を考慮して、始めから体外受精を勧められました」

1年半で7回の体外受精 「がんばれば必ず報われると信じていた」

自然妊娠は難しくても、不妊治療さえすればきっと授かれる。不妊治療を始めたばかりの頃、二人はそう信じていました。「年齢ごとの妊娠・出産率を医師から聞いてはいても、まさか自分たちが授かれないなんて、やっぱり最初は考えもしないものなんですよね」(千田さん)

千田真司さん
千田真司さん

赤ちゃんに会える日を楽しみに始めた体外受精。けれどもなかなか授からず、「今回こそは」と「ダメだった」を繰り返すうちに、瀬奈さんの心はどんどんつらくなっていきます。その上さらに、卵子を育てるために打つ注射や、服用する薬による肉体へのダメージも蓄積されていきました。

「私はとにかく薬が合わなくて、吐き気とむくみがひどかった。ホルモンに作用する薬なので、情緒も不安定になりましたし、空気しか食べてなくても太るんじゃないかと感じるくらい、体も重くなっていきました」

総合病院で2回、不妊専門のクリニックに転院して5回。1年半で7回というハイペースで体外受精を行いましたが、残念ながら実を結ぶことはありませんでした。

「私にとって、人生で初めての挫折です。がんばれば報われる。宝塚に入るときも、入ってからも、そう信じて努力し続けてきました。だから、不妊治療だって自分さえがんばればなんとかなると、心の中では思っていたんです」

毎回妻に付き添っていた千田さんも、「不妊治療はゴールの見えない暗闇の中を走るようなものだとよく例えられますが、まさにその通り。治療を重ねるほどに妻の元気はなくなり、家の雰囲気も重くなっていきました。自宅からほとんど出なくなって、一日中ソファに座ったまま、ぼんやりと過ごす日もありました」

なんとか妻を楽しませようと、瀬奈さんの家族を自宅に招いてみたり、時間を作って旅行に連れ出してみたり。そんな夫の心遣いに瀬奈さんが笑顔を見せることはありましたが、胸のうちは別でした。

瀬奈じゅんさん
瀬奈じゅんさん

「周りに人がいると、心配させないために無理やりにでも笑わなければいけないのがつらかったので、本当は誰にも会いたくなかったんです。だけど、夫が私のためにやってくれている気持ちもわかるから、楽しめない申し訳なさが募るばかりでした」

不妊治療中は、お互いに相手を思っているのに何を言ってもすれ違い、口論にまで発展してしまうことがたびたびあったといいます。


2回目の体外受精が実らなかった帰り道、夫から「特別養子縁組」を提案されて

「特別養子縁組」について初めて口にしたのは、千田さんです。不妊治療を始めて半年、2回目の体外受精がうまくいかなかった日に、病院から自宅に戻る車の中で切り出しました。

俳優やダンサーとして活躍する傍ら、ダンススタジオで講師も務めていた千田さん。子どもと接する機会が多かったため、本格的に接し方を学ぼうと2014年に「チャイルドマインダー」という資格をとったのですが、そこで「特別養子縁組」という制度を知りました。

「養子を前向きに考えていこうね、ということではなくて、必ずしも血のつながりがなくてもいいんじゃないかと伝えたかったんです。不妊治療で妻にばかり負担がかかっている状態が、僕はずっともどかしかった。妻も子どもがほしかっただろうけど、たぶんそれ以上に、子ども好きな僕のためにとがんばってくれていたから。妊娠というゴールが見えない暗いトンネルに、特別養子縁組という出口もあると示すことで、少しでも妻の心を軽くしたい一心でした」

左から千田真司さん、瀬奈じゅんさん
左から千田真司さん、瀬奈じゅんさん

妻を思いやっての言葉も当時の瀬奈さんには受け入れ難く、「あなたとの子どもがほしいから、がんばっているのに!」と、強い言葉が口をついてでました。

体外受精専門のクリニックに転院し、今度こそいい結果になるかもしれない、また一からがんばろうと自分を奮い立たせていたタイミングでの夫の発言に、「どうして諦めさせるようなことを言うんだろう、と思いました。悲しくて、腹立たしくて、とりあえず聞かなかったことにしたんです」

二人の間で再び「特別養子縁組」の話題が出るのは、それからさらに半年後、4回目の体外受精に挑戦したあとのことでした。

不妊治療と並行して「特別養子縁組」を検討するのは、エゴなのか

不妊治療中は「少しでも前向きな気持ちになりたくて」、高齢出産で子どもを授かった人のブログを読み漁っていたという瀬奈さん。その日の夜も、一人でいつものように読み進めていたところ、ふと、「私は自分で生みたいのかな。それとも、育てたいのかな」と疑問が湧いてきたといいます。「掘り下げてみると、私はただ、夫と二人で子どもを育てて明るい家庭を築きたいだけなんだと気がついたんです。それで、夫の話を思い出して、特別養子縁組について調べてみようと思い立ちました」

「特別養子縁組」で検索してみたところ、想像もしていなかったような現実を知ります。「生みの親に何らかの事情があって家族のもとで暮らせない、社会的養護が必要な子どもが約4万5千人もいる。いるとは知っていたけれど、こんなにもたくさんいるのかと驚きました」

調べているうちに、「児童養護施設に入ることなく、家庭で育つ子が一人でも増えるように、私にも何かできるんじゃないか」と考え、翌朝には千田さんに「特別養子縁組についてもっと知りたい」と伝えました。「ネットで調べるだけでなく、もっと生の声を聞きたかったんです。今すぐに養子を考えるわけではないけど、まずは知識として知ろうと思って」

瀬奈じゅんさん
瀬奈じゅんさん

二人はすぐに行動に移し、ホームページを見て「良さそう」と感じたあるあっせん団体の養親希望者向けワークショップへの参加を決めました。「民間のあっせん団体は全国に22しかない上に、さらにセミナーの会場と日程が自分の住まいや仕事、妻の不妊治療のスケジュールと合うところとなると、なかなか見つけるのは大変でした」(千田さん)

一口にあっせん団体といってもそれぞれのカラーがあり、「特別養子縁組」に対する考え方や、養親に求める条件も異なります。例えば、「夫婦ともに45歳以下」、「婚姻歴3年以上」、中には「夫婦どちらかが育児に専念できるのが望ましい」という団体も。だからこそ、関係者から話を聞ける場は貴重です。

瀬奈さんたちにとっても、ワークショップで実際に「特別養子縁組」をした家族と交流を持てたことは、自分たちのこれからの家族像をイメージする上でとても良い経験になりました。しかし一方で、新たな悩みも生じました。

そのワークショップでは、「特別養子縁組」は子どもの福祉のための制度である、と何度も強調されました。それはもちろん理解しています。でも、だとすると、不妊治療で子どもを授かれないでいる自分たちが「特別養子縁組」を考えるのは、制度を子どものためでなく、自分たちのために利用しようとしている、ということになってしまうんだろうか。それはエゴなんだろうか。どれだけ考えても、答えは出そうにありませんでした。

瀬奈じゅんさん
瀬奈じゅんさん

赤ちゃんが生まれたと連絡を受けた日から、すべてが輝き始めた

不妊治療は、医師の側から「もう終わりにしましょう」と言われることはほとんどありません。タイミング法、人工授精、体外受精、さらに顕微授精とステップアップしていく中で、極端な話、夫婦の気持ちとお金が続く限り、何度だって挑戦はできます。

自分たちで治療のやめどきを決めなければならないのは、不妊治療で味わうつらさの一つですが、瀬奈さんと千田さんの場合は、2年を治療の区切りにすると最初に決めていました。

「妊活を始めた頃に3年先のお仕事を一ついただいていたため、2年を期限としました。でも実際は、体外受精5回目くらいの、1年が過ぎたあたりでもう心身ともに限界。そんなときに別のお仕事のお話をいただいたので、夫とも相談して7回で不妊治療を終えました」

不妊治療を終えてからの3カ月は、心と体を回復する時間に充てました。「ジムで体を動かして、外でお友達にも会って。そうこうしているうちに他のお仕事も決まったりして、だんだん気持ちが前向きになっていきました」

そして二人は再び「特別養子縁組」に向けて動き出します。今回は、和歌山にある「ストークサポート」に問い合わせました。「ここは、ワークショップに参加する前に、書類審査があります。どうして子どもを育てたいのか、妻と話し合いながら二人で書き上げていきました。僕らの両親へ特別養子縁組の話をしに行ったのもこのときですね」

両家ともに、「二人が幸せでいてくれるのが一番だから」と、選択を受け入れてくれました。千田さんの妹がポツリと、「でも二人だけの暮らしも楽しそうなのにね」と言ったとき、瀬奈さんはハッとしたそうです。「私にも夫にも、子どもができなかったら二人でもいいよねって考えがそもそもなかったんです。二人とも、自分たちが育ってきたような家庭を築きたかったんだと、再認識しました」

書類審査が通り、「ストークサポート」の担当者との面談に臨んだ際、千田さんは思い切って「不妊治療を諦めた自分たちが子どもを育てたいと思うのはエゴなのでしょうか」と、ずっと心にあった葛藤を尋ねてみました。すると、「子どもを育てたいという思いがあったから不妊治療をがんばってきたわけで、それが難しいから養子をと考えるのは、エゴではなく自然な流れではないでしょうか。特別養子縁組は、養親さんの育てたいという気持ちがなければ成り立たない制度です」

この言葉に、二人の心は軽くなりました。「あっせん団体によって養親に求めるものも違うし、相性もある。もし実際に検討するなら、いくつかの団体の説明会に参加してみるのがいいと思います」(千田さん)

養親として認められ、待機となってから5カ月ほどで「もうすぐ生まれる赤ちゃんがいます」と団体から連絡が入り、受け入れることに。ベビー用品を準備した自宅で、「生まれました!」と連絡を受けた日のことを、瀬奈さんは今でも鮮明に覚えています。「比喩じゃなく、一気に世界が輝いて見えました。夫は仕事で大阪にいたので、母と二人、赤ちゃんが生まれたお祝いをしました」

左から千田真司さん、瀬奈じゅんさん
左から千田真司さん、瀬奈じゅんさん

その5日後、瀬奈さんは車で男の子を迎えに行きました。仕事で大阪にいた夫とは、赤ちゃんが生まれた病院の駐車場で待ち合わせです。いよいよ我が子と対面できる喜びをかみ締めながら車を降りると、「私を見た夫が、『なんだか雰囲気が変わったね。すごくいい感じになった』と言ったんです。その言葉とそのときの彼の表情は、大切な思い出として記憶に残っています」


「特別養子縁組」をなるべく多くの人に知ってほしい

不妊治療はつらかったけれど、過ぎ去った今となっては自分の糧になったと、瀬奈さんは振り返ります。「私は自分にも他人にも厳しくて、心の中で『なんでもっとがんばらないの?』と思ってしまうことがあったのですが、努力してもどうにもならないことがあると知って、昔よりも人の痛みがわかる人間になれました」

ただ、妊活を始める前に「特別養子縁組」の知識があればよかったなとも感じています。「その選択肢を知っていたら、もっと素直に夫の言葉も聞けただろうし、治療に臨むときの気持ちも違ったと思うんです」

今は夫婦それぞれが「特別養子縁組」に関する知識を広めるための活動をしています。来年度からはある高校の家庭科の教科書で「特別養子縁組」をした家族として紹介されるそうです。「ステップファミリー※という言葉は、だいぶ知られるようになりましたよね。同じように、特別養子縁組の家族もたくさんある家族の形の一つ、くらいの認識が若い世代にも広まっていくといいなと思っています」(瀬奈さん)

「息子が大人になる頃には、特別養子縁組が当たり前に社会に受け入れられているような状態を目指したいですね」と、千田さん。「特別養子縁組は子どもを救う制度。でもやっぱり、僕ら夫婦は息子が家族になってくれたことで救われたし、幸せも大きくなった。養子を迎えるのはハードルが高いイメージがあるかもしれませんが、実際はそんなことはありません。血のつながりがないなんて普段は全く意識しませんし、単純に毎日楽しくて、幸せなんです」

千田真司さん
千田真司さん

ご縁と巡り合わせで結ばれた、新しい家族の絆。ときに苦しみながらも自分たちにとってベストな家族の形を考え続けて行動した結果、瀬奈さんと千田さんは、今の穏やかな幸せを手に入れました。子どもには出自を知る権利があるため、生みのお母さんについても千田さんたちは小さい頃から少しずつ伝えるようにしています。

「『真実告知』のやり方は家庭によって異なると思いますが、うちでは生後6カ月の頃から生んでくれたお母さんがいるという話をしてきました。これは息子のためでもあるけれど、早い段階から少しずつ話しておくことで、親である僕たちの心の準備を整える練習にもなりました。まだ6カ月で、息子は僕らの言葉がわからないとわかってはいても、初めて生みのお母さんの話をするときは緊張しましたから」(千田さん)

瀬奈さんが気をつけているのは、「本当のお母さん」という言い方はしないということ。「生んでくれたお母さんも、育てている私も、本当のお母さん。本当の、と使ってしまうと息子も混乱しちゃいますよね」

地図を見ながら、千田さんが「このあたりに生んでくれたママがいたんだよ」と話すこともあるそうで、二人はこれからも子どもの成長に合わせて日常の中にさりげなくそういった会話をちりばめていきたいと考えています。

※ステップファミリー
再婚や事実婚により、血縁のない親子関係や兄弟姉妹関係を含んだ家族形態。

PROFILE

瀬奈じゅん(せな・じゅん)さん

俳優。1992年宝塚歌劇団入団。2005年月組男役トップスターに就任。2009年に退団後は、女優として舞台、テレビ、映画、ラジオなど多方面で活躍。


千田真司(せんだ・しんじ)さん

俳優、ダンサー。2008年「さらば我が愛、覇王別姫」で舞台デビュー。ダンススタジオの運営も。2018年、特別養子縁組制度の啓発活動を行う会社「&family..」を立ち上げた。夫婦の共著に「ちいさな大きなたからもの 特別養子縁組からはじまる家族のカタチ」(方丈社)。


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